ブログで想いを綴る理由
ブログを更新し続けないと、死んでしまうんです。
だから、生きるためにブログを書くのです。
脅迫のようになってしまったかもしれません。
【人生は正解のないクイズなので】
こんなブログタイトルにした理由を語ってみたいと思います。
よろしければお付き合いください。
~生きることは選択肢の連続で、どれが正しいのかはわからない~
例えば、受験生なら、どの学校に進学しよう。それとも就職にしようか。
選択肢を広げようと進学して、その中でやりたいことを見つけることもそうですね。
社会人なら、転職をする・しないとか。
どちらも選べないからこのまま…というのも「選ばないという選択」でしょう。
そんな一大選択でなくても、日常には選択肢が溢れています。
「今日はどこで買い物しよう」
「どの本を読もうかな」
「この人を好きになっていいのでしょうか」
あとになって、この選択は良かった、とか、あちらを選択していたらどうなっていただろうか、と考えることは無数にあると思います。
~正しい答えなんてきっとない。答えは自ら作り出すもの~
「この選択は正しかった」とか「ああしとけばよかった」というのも、結果論で結局はあと付けです。自分を納得させていくことでしかない。前者だったとしても長い目で見れば良くないことになったり…
とある有名な歌のひとつに”晴天を誉めるなら夕暮れを待て”という曲があります。
人生を一日に例えて考えれば、こんなに気分のいい晴天も、夕暮れにはそう言えるかどうかわかりませんよね。
~世の中はクイズで溢れている~
どうすればいいの?
勉強ってなんのためにするの?
なんのために生きているのだろう?
そんな疑問の連続は、まさにクイズ番組のようです。
日常のちょっとした疑問から、大きな分かれ道まで。世の中は選ばされることで溢れている。クイズに答えることは生きることそのものではないか、そう思うのです。
答えのすぐ出せない(存在しない)ことばかり。
だったらせめて、答えの導き出せる、正解のある疑問だけでも答えを見つけていけば、きっと生きるヒントになるのではないか。
そう思ってこのブログを立ち上げました。
大切な人を亡くしたこと、多くの方が経験していると思います。
今はなくてもその時は必ず訪れます。
「もう会えないけど、思い出は残ってる」
「この胸の中で生きている」
こうやって記憶に残ることで、生き続けることができるんです。
逆に言えば、忘れ去られることが死ということです。
認知されていない=生きているとは言えない。
一人でも多く、自分の考えを知ってもらいたい。
アドバイスというほどのことではなくても、ヒントになったと思ってもらえたのなら、そよ風くらい吹くかもしれない。
このブログを作っていくことは、
つまり、存在証明です。生きることそのものなのです。
なんて仰々しく書きましたが、このブログでは、
小さなものから大きなものまで
動かす力だヤンマーディーゼル
疑問に思ったことの、答えを導き出していきたいと思っています。
コンセプトは「チコちゃんに叱られる」に似ていますが、構想はこちらのほうが先です(言ったもん勝ち)。
お付き合いいただける方がいましたら、よろしくおねがいします。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
アイドル=偶像 ってどういうこと?
前回は、元アイドルのことを書いたので、今回は「アイドル」という言葉について記事にします。
アイドルを辞書で引くと、【idol=偶像】と出て来ます。
どういうこと?そう言われても、なんだかピンとこない。
神や仏をかたどったもの?人形?と言っても人間だけれど…
(ちなみに私は、「鞘師は救世主」とYouTube動画にコメントされていたのをみて、モーニング娘。に興味を持った口です。)
さて、これはどういうことか。語源を手繰っていくと、
「偶像崇拝の禁止」とエルヴィス・プレスリーにたどり着きます。
偶像とは前述の通り、神や仏をかたどって人間が作り出したものです。
それは本物の神ではないので、偶像を崇拝することはおかしい、として、禁止されていたんですね。
このことから、「偶像」=「まがい物」と使われるようになりました。
プレスリーの人気が出始めた頃、「あんなのはロックンロールではない。まがい物だ」とする人が多くいたようです。そして、【若者が熱狂しているまがい物】と蔑み、アイドルと呼ぶようになったようです。
現在では【若者が熱狂している対象】を指してアイドルと言っているんです。
神様仏様は無関係ですね。
遠くの存在ではなく、だいぶ身近な対象になりました。
そんなアイドルに(アイドルに限らず、すべての人に)敬意を持つことができれば、この地球の平和を本気で願ってる人たちの想いは形になっていくのではないでしょうか。
隣人を愛せよ、とはそういうことなんですね。
いじめ?〜卒業後のアイドル【尾形春水非難】〜
「あなたの言動が、グループの品位や尊厳を脅かしてる」
「看板背負ってるんだから、何をしてもいいわけではない」
「ファンをどれだけ傷つけたか自覚してほしい」
「ファンの思いを汲んで生きてほしい」
「ファンに迷惑を掛けるな」
「逃げ出したくせに偉そうに言わないで」
「頑張っている人に対して失礼」
「見ていて不愉快」
「姿を見せないでいてくれる方が、こちら側としては助かる」
なかなかひどい言われようですね。
これを言われているのが、二十歳くらいの女の子。
彼女は2014年~2018年、4年近くモーニング娘。に所属していました。
大学生になり、学業に専念するためグループを卒業した尾形春水さん。
そんな彼女が、冒頭のように大勢のいい大人からの批判されているようです。
一体何があったのでしょうか。
~モーニング娘。とは~
まず、この記事を書いている私はモーニング娘に興味を持って半年あまりなので、その視点で語っていることをご了承ください。
モーニング娘は、20年以上の歴史があるグループ。加入と卒業を繰り返して続いている集団で、アイドルと言えどなかなか泥臭い存在のようです。
朝日新聞読書編集長の鈴木京一氏がしたためた記事の一節では、彼女らの姿に【巨人の星】を見た、と語っています。
かつてのメンバー、道重さゆみさんは最終公演にて「モーニング娘。のためなら寿命が縮んでもいい」と体を負傷させながらも職務をまっとうする姿が印象的だったそう。
モーニング娘。は、小中学生の子供が加入し、パフォーマンスが苦手でもこの厳しい環境の中で学び、助け合い、成長していく様が大きな魅力になっています。
上記の道重さんもはじめは歌もダンスも苦手で、へっぽこと言われていました。
そんな彼女が【伝説のリーダー】とまで言われるようになった。
そういうことを目の当たりにしているファン(通称ヲタ)は、すべてのメンバーに【青春のすべてを、人生をモーニング娘に捧げよ!】とスポ根を求めているようなのです。
話は戻ります。
尾形春水さんが大学に進むためモーニング娘を卒業した一年後、youtubeで動画チャンネルを解説しました。それについて、「アイドル活動がつらいから勉学を口実に逃げたんでしょ。それなのにYouTuberになってるって何事?」と大勢が非難するのです。もうボコボコです。
youtube動画で非難→同調コメントが多く集まる。なのでファンすべての意見のように見えます。
~非難コメントと、私が思うこと~
●「あなたの言動が、グループの品位や尊厳を脅かしてる」
●「看板背負ってるんだから、何をしてもいいわけではない」
→モーニング娘には無関係の動画を彼女は挙げているのですが、この言われ様。
当時の活動やメンバーに対しての愚痴や暴言をしているならわかりますが、やっていることは、化粧の仕方とか女子大生向けの内容です。
●「頑張っている人に対して失礼」
●「逃げ出したくせに偉そうに言わないで」
→すべてのメンバーに”燃え尽きるまでアイドルを貫く根性を見せろ"と言いたいようです。現役メンバーが言うならまだしも…
●「ファンをどれだけ傷つけたか自覚してほしい」
●「ファンの思いを汲んで生きてほしい」
●「ファンに迷惑を掛けるな」
●「見ていて不愉快」
●「姿を見せないでいてくれる方が、こちら側としては助かる」
→本当にファンなのでしょうか?嫌なら見なければいいだけなのに、このように
自分の理想を押し付けているようにしか思えません。
きっと恋心ですね。恋人にはこうしてもらいたい、その思いがかなわないと裏切られた気持ちになって攻撃したくなる。可愛さ余って憎さ百倍。
ファンに迷惑をかけるな、というのは、「脱落者がいるとモーニング娘の印象が悪くなる→ファンの印象も悪い」と言いたいのでしょうが…こうやっていじめている姿をみて私はファンに悪印象を持ちました。
印象の良いファンの方も知っているのですが、一部のこのような人たちには当たりたくないな、と思った次第。
~激辛カレーを顔に塗りたくる~
【尾形春水非難動画】には同調コメントが多数寄せられます。
すると、この意見が正しいものに見えて正義感のようになり、悪は攻撃すべき、という図式が出来上がります。
激辛カレーで同僚をいじめていた教師を連想します。
いじめられっ子は、いじめっ子から見て気に入らない。
悪いやつは攻撃すべきだ。排除すべきだ。
正義感は少々厄介な感情です。
~目的を持っていただきたい~
なんのために非難をしているのでしょうか。その対象がいなくなれば満足するのでしょうか。
ただもやもやしたものを吐き出して、気を晴らしたいだけでしょうか。
ファンなのなら、グループが良い方向へすすめるように応援すればいいと思います。
尾形春水さんは自分の道を進もうとしている。それが見る側からして気に入らないことだとすれば、ただ触れなければいいと思います。
「姿を見せないでいてくれる方が、こちら側としては助かる」と言いながら、彼女の動画を熱心に探して視聴する。
彼女のことを想うなら、攻撃ではなく良くなる方向を提示してあげればいいと思います。
期待できないのならば、単に見限ればいい。危害を加えてきているわけではないのだから。
~最後に~
尾形春水さんの挙げている動画は、現段階で特別面白い内容とは感じられません(個人の感想)。きっとそれは彼女が、一般の女子大生だから。動画の対象者が老若男女ではないから。女子同士の世間話のような内容なので。
モーニング娘という大きなエンターテイメントと比べるのは間違いです。
そんな彼女が、多くの人を楽しませるコンテンツを発信してくれるように成長することを期待したほうが、よほど健康的です。
その人の選んだ人生を尊重し、見守り、応援する。これが愛情だと思います。
愛ってなに?あの映画監督に学んだこと ~1,200ドルのハンカチーフ~
~とある青年の物語~
高校時代、ジェームズ(愛称ジム)はクラスメートのシャロンに恋をしました。髪が長くて瞳の大きい、清純そのものの少女です。交際を始め、大学に進学すると二人はすぐに同棲をはじめました。
同棲の頃、ジムはよくシャロンをモデルにしてデッサンを良くしていました。
「ヌードになることも多かった」とシャロンは言います。
決して裕福ではないけれど、幸せな生活でした。
大学を2年目で中退したジムは、整備工になりますが、長くは続かず、夢を追うため退職します。
「やっぱり、映画監督を目指す」
シャロンは「ビッグボーイ」というハンバーガーダイナーでアルバイトをし、夜も勤めに出て彼を支えました。「あなたは夢に懸けて。私が稼ぐから」
その夢が二人を引き離すなんて、知る由もありません。
ジムは映画会社に勤め、泊まり込んで脚本を書いたり仕事をすることが多くなっていました。
そこで、ジムは同僚の女性、ゲイルに出会うのです。
彼女とは夢を語り合い、何度も相談をし合う仲でした。そのうちに親密になっていきました。
ジムの書いた脚本は評判になり、他の映画監督から買取希望が相次ぎます。
貧しかった彼はそのお金を喉から手が出るほど欲しかったはずですが、断ります。自分で監督をすることは譲れなかったのです。
幾度もの買取依頼を断ったその脚本の権利を、ジムはゲイルにたった1ドルで譲ります。このシナリオを彼以外に監督させないという約束と引き換えに。またそれは、彼女への愛の証でもありました。
いつもジムの相談に乗り励ましていたゲイル。そして二人は、夢を叶えます。監督・脚本ジェームス、製作ゲイルの映画を制作しました。
その映画の撮影に入る1984年(30歳)、ジムは、ずっと彼を待ち続けていたシャロンと正式に離婚しました。
「僕が全て悪いから、償いはなんでもする」ジムはそう言いましたが、シャロンは断りました。彼女は形式的に1200ドルだけを受け取ったのです。「まだジムを愛しているから」
~他者愛と自己愛~
以上は、映画監督として活躍するジェームズキャメロンの人生の一節です。
シャロンを見ると、愛とは何かが見えてくるように思います。
愛とは相手の幸せを心から願う、祈る気持ちや応援でしょう。そこに見返りを求めることはありません。
ジムが夢を叶えたことを、シャロンは心から喜んだのではないでしょうか。
見返りを求めることはないと言いましたが、欲求があるとすれば、「幸せになった様子を見届けたい。妻という特等席で見て居たかった。」という感じかもしれません。
ただ、その欲求をエゴだとするのなら、それをなくしてこそ本当の愛だとするならば、愛することはなかなか難しく、また切なさも孕みます。
よく、親が子に向ける愛こそ本当の愛だ、というけれど、それは遺伝子を受け継ぐもの(自分の分身そのもの)だからではないかと思います。
自分の分身を愛すること、それは自分自身を愛することができて初めて成り立つもの、
そして、自分を愛せるからこそ、人に愛を捧ぐことができるのでしょう。
その愛を与える時には、「自分を犠牲に」なんて考えはきっと頭にないのでしょう。
~愛する痛み~
恋人を故郷に残し、上京した男性はやがて恋人から遠ざかっていきます。「都会の絵の具に染まらないで帰って」彼女が送った手紙の文も虚しく、僕は帰れないと、男性は手紙にしたためます。
この歌に、ジムとシャロンを重ね合わせてしまいます。
一方で、シャロンから離れたジェームズの愛について考えてみましょう。
彼女を愛していたのは間違いないはずです。では、その愛を忘れてしまったのでしょうか。
ジェームズ自身、大きな葛藤があったことは想像に難くありません。十代の頃から付き合っているシャロンをずっと待たせている状況で、新たな愛が芽生えてしまったのだから、彼もつらかったはずです。
きっと彼は、シャロンへの愛を貫くことができなくなった今、彼女の元へ戻ることを、不誠実だと思ったのではないでしょうか。
これまでと同じように彼女を愛せない状態で一緒に過ごしても、お互いに苦しむだけでしょうから。二人の女性を同じように愛することは出来ません。
シャロンにしてもそうなった場合、夫の心変わりに気づき、気遣いが生まれるでしょう。
~面影~
映画タイタニックをご覧になったことはありますか?
ジャックがローズのデッサンをしている場面があるのですが、ジムとシャロンの同棲時代の思い出がそのまま投影されています。映像にあるそのデッサンは、キャメロン自身の描いたものだそうです。
ターミネーター劇中のレストラン「ビッグボブズバンズ」は、シャロンの勤めていたレストラン「ビッグボーイ」がモデルです。
これらの場面をシャロンが観たら、何を思うのでしょう。彼女のその後を垣間見てみたい気もします。
~問いかけ~
ちなみに、ジェームズキャメロンはその後離婚と結婚を繰り返し、今は五人目になる妻と三人の子供と一緒に暮らしているようなので、愛と結婚とは結びつけられないものですね。
もしもあなたが、このような状況になったとき、愛はどんな形になるでしょうか。
シャロンのように、相手を想い続けられますか?
ジムのように、人を愛せますか?