愛にはぐれて人は死ぬ〜はるかな国から
世間が不況という文字を
消そうとしてる間に
合図を送れないまま
一人少年が死んだ
これは1995年に発表された、とある楽曲の一節です。
突然歌の一部を引用したのは、先日の報道にこの歌が思い出されたからです。
韓国にてトランスジェンダーに悩む兵士ピョンヒスさんが性転換手術の後、除隊させられ、その後自殺した事件です。
この楽曲は26年ほど前の作品ですが、今も相変わらず、痛ましい報道はなくなりません。
この「少年」やピョンヒスさんのように自殺までは考えないにしても、世間に揉まれ、疲れ果てて、ずっと眠っていたい…とか逃げ出したい気持ちになったことは、誰しもあると思います。
テレビやラジオや新聞は
涙を誘いかけては
大人の眼を持ち出して
罪の行方探してる
誰も行方探してる
昨今では「差別撲滅」などの議論が盛んな印象を受けますが、未だに状況は変わっていないのではないでしょうか。
罪の行方を探したり、悪者を作り出しても、解決にはつながらないことを物語っているかのようです。
愛という不透明な命の線の中を
しゃがみこむように消えた
少年のように消えてしまわないような道は、悪者を排除することではないのです。生きるのに必要なものはーー
夏にはシャツを脱ごう
冬は重ね着しよう
風邪をひくのはとても嫌いだな
暑さ・寒さのように、生きづらさのもとは周りに溢れています。けれどもそれを排除することは根本の解決にはならないでしょう。
例えば
夏の暑さ=周囲の批判的な視線。
冬の寒さ=棘のような言葉。
夏も冬も太陽があるから。
春の暖かさを待ち、
秋の月夜を願うだけでは生きられません。
夏の日差しはスイカを育み、
冬来りなば春遠からじ。
それぞれを認めて共に過ごすことが
風邪をひかない秘訣ではないでしょうか。
あんなに高い空へ歩くのは
とても大変だな/
あんなカードですべて賭けるのは
とても痛そうだな
世間に痛みをわかってもらおうと、最後の切り札として自殺をしたところで、何かを変える力は期待できないでしょう。
生きることは、自分を愛すること。
いじめっ子といじめられっ子の違いとは??
人助けをすれば「偽善者」と呼ばれ
仕事の話題を報告したら「忙しいアピール」と言われる。
身内の看病を口にすれば「悲劇のヒロイン気取り」と返される…
だからといって報告しないと「病人を放置する冷酷なやつ」と罵られる。
さらには自分の体調不良、病気を告白すると「話題作り」などと叩かれる。
こうして、なんの罪もない、むしろ称賛されるべき人が心を病んでいく現状があります。
どうすればいいの?
【してはいけないこと】
まず、なぜあなたを傷つける人達はそんな心ない言葉を浴びせるのでしょう。
どうにかしてその人達に私のことをわかってほしい…その一心であなたは今までつらいことに耐えてきたと思います。
でも、彼らを変えることはできません。それをまず覚えておいてください。
あなたがしてはいけないのは、「人を変えようとしない」ことです。これは大事なことです。「他人は変わらない」
【自分を責める必要もない】
あなたの行いに異論を唱える人がいるのは、あなたが間違っているせいではないということです。
なぜそう言えるか?
思い返してみてください。あなたの言動によって「ありがとう」と言われませんでしたか?
喜んでいた人がいませんか?
それを見れば明らかです。あなたが人のためになることをした。誰を苦しめたわけでもないでしょう。
【なぜ責められるのか】
では、なぜ悪くないあなたを攻撃する人がいるのでしょう。
それはきっと「いじめやすい」からです。
こんな図が出来上がっているのだと思います。
責められている人がいる
↓
悪いことをしたに違いない
↓
悪人は排除すべき
↓
多数派のこちらが正しい
こうして生まれた「正義感」によりいじめは起こるのだと思います。
また、多数派に属さないと、自分が攻撃される…それを恐れて責める側に加担してしまうことも多いはずです。
【あなたがすべきこと】
①攻撃してくる人に意識を囚われない
②自分を責めない
③批判をしない
④批判を真に受けない
⑤無駄な労力を使わない
「憎まれっ子世に憚る」という言葉があります。いじめはなくならない。穢れなき人こそ生きにくいのが世界の仕組みです。
あなたに感謝する人がいるのは、つまりあなたの善行の証。自分を信じ、また自分を強く持ってください。
誰のためにもならない、心ない言葉を真に受けないようにしましょう。
また、その言葉に反論することで得るものは無いので、そこに時間を割く必要はありません。
視点を変えれば、その言葉は「あなたを強くする試練」です。
糧にするしかないのです。
以上、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。 何か思うところがあれば、コメントを頂けると恐悦至極です。
eurekaはありましたか?
苦手な人に悩むことがなくなる方法?
学校でも仕事でも、とにかく意見が合わない。いじわるばかりしてくる…そんな人はいませんか。
本当に気が利かなくて、その人にイライラしてしまう…そんな悩みを抱えて過ごしている方は目を通してみてください。
この記事を読むと、そんな人に対する悩みが軽くなるかも知れません。
【苦手な人】
その人のせいであなたは息が詰まって、普通に過ごせなくなっている。そして、その人を嫌いになりますよね。
すると、嫌っている態度が相手にも伝わり、さらに悪化するかもしれない。その人の態度にもあらわれる、悪循環の恐れがあります。
【視点を変えよう】
どうしてあの人は意地が悪いんだろう?
その人はストレスが溜まっているせいで、八つ当たりしているのかも知れない。
あなたの言動がその人にとって気に入らず、そうなっているのかも知れない。
理由はわからないこともあります。
なので一旦、つらい思いをしているあなたの気持ちから、少し離れてみてください。
【馬鹿とハサミは使いよう】
相手の気持ちはすぐにはわかりません。だからこちらがすること、それは「そういう人なんだ」と認めることです。
言い方は過激かも知れないけれど、あなたを苦しめるその人は、「切れないハサミ」だと思ってしまいましょう。
昔の人はいいことを言いました。【馬鹿とハサミは使いよう】その人をうまく扱えないのは、自分の扱い方が悪いんだ。そう思えるようになります。
自分の言動を見つめ直すきっかけになりますね。
切れないハサミも、自分の腕を上げる力に変えてしまう。どうすれば上手く紙を切ることができるか。
相手を嫌がることもなくなるのではないでしょうか。むしろ、その人が可哀想に思えてしまうかも知れません。
【名言紹介】
風はすべて追い風。私がどこを向くかだ。(尾形真理子)
以上、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。 何か思うところがあれば、コメントを頂けると恐悦至極です。
eurekaはありましたか?
〜死ぬ前に伝えたかった〜「大切なことはバズらない」理論
【朝】という漢字をよく見てください。
分解すると「十月十日」で成り立っています。お腹の中に宿り、生まれるまでの時間。命のはじまり。
それと、一日のはじまりである「あさ」を掛け合わせた、素晴らしい字です。
「バズる」ってこの頃よく耳にします。文脈で意味はわかりましたが、語源はなんだろう?と調べたとき、気づきました。もっと大切なことに。
大切なことはバズらない。
「バズった人への嫉妬か?」と捉えられるかもしれませんが、そうではありません。
この記事は名作なので、バズってもらって結構ですけれども。
爆発的な話題になるってことは、一過性のものが多いような感じがします。文字通り流行、流れゆくものだから(バズるって言葉自体…)。
大事なものはきっと当たり前の事柄で、普遍的なものだと思います。だからインパクトはあまりない。耳にしても「なんだ、そんなことか」と。
例えば、誰もが知る名前、画家のゴッホ。彼の絵はずっと評価され続けているように思われますが、彼が亡くなってから評価されたようです。
魅力が伝わるのが死後とは、切ない話ですが、少なくとも彼自身は自分の作品の力をわかっていたのでしょう。
自分だけでもいい、周りに惑わされずに大切なことを守り続けてほしい。
生きることは素晴らしい。そう気づいた時、気づかせてくれたこと・人に、感謝を伝えましょう。恩返しをしましょう。
恩返しをする機会がもうない、そんな場合もあります(ゴッホのように…)。
それなら、感謝を胸に抱いたまま生きていきましょう。語り継いでいきましょう。
暖かい日の光に感謝し(暑くてつらいけどね)
ごはんのおいしさを喜び(たまにまずくてもね)
勉強を楽しみ(休み時間のドッジボールの方が楽しくてもね)
怪我なく一日を過ごせたことを讃え(ボールは痛いけどね)
友達と笑い合える時間を噛み締め(かけがえのないと気付くのは、大抵失ってから…)
寝床での安らぎに横たわり(おじいちゃんみたいだね)
朝日を拝める素晴らしさにうなずき(おばあちゃんみたいだね)
この世に産んでくれたひとに、ありがとうを。
誰もがこの精神を持っていれば、世界はもっと生きやすい。でもみんなが知っていたらバズらない。当たり前のことだから。
読んでくれてありがとうございます。
eureka?
この世のすべての方に伝えたいこと~I love youからはじめよう~
以前、愛とは何か?と記事で語りました。お読みいただいた方、ありがとうございます。
この記事にみる「愛」は、シャロンの姿に純愛の尊さと物悲しさを感じました。
愛にはいくつかの顔があると思いますが、「感謝の気持ち」が大きいのではないか、と思っています。
あのキリストは言いました。「隣人を愛せよ」と。
磔にされて暴力を受けてもなお、彼らを許してくれるようにと神に祈りを捧げる姿。
人が生きる上で愛は欠かせないもの。人を愛することをまずイメージするかもしれませんが、自分を愛することが一番必要だと感じます。
自分を愛せなければ人を愛せないから。
人に愛を向けられる自分を育てていくことが大事だと。
愛とは何か?先述したとおり、それは感謝です。
なにかをもらったり、嬉しい気持ちにさせてもらったことへの感謝。
その恩返しが、人を愛することの一つだと思います。
前置きが長くなりました。
このブログが動き始めてから一ヶ月ほどですが、スターをいくつか頂いたり読者登録をしていただく事ができました。本当にありがとうございます。
そこで、感謝の意を表してこの記事を書きました。
(記事タイトルと繋がりました)
ブログの利点はいくつかあります。
①自分を表現できること
自分の考えをまとめるという点では、自分のためのものです。
②伝えたいことを発信できる
誰にも読んでもらえなかったとしても①は達成できるのですが、②は読者がいなくては成り立たない。
ありがたいことに、読んでくれている方がいます。スターを付けてくれたり、読者登録までしてくれる方もいます。とても嬉しいことです。
読者登録してくださった方のブログも拝見しています。
映画ブログ
女子大生の雑記
サラリーマンの雑記
金融関係の情報
健康に役立つお話
などなどを載せてくれていますね。
度々お邪魔してコメントをつけることもあるかと思います。これからよろしくおねがいします。
こういうのは節目の時期に載せることがいいのかも、と思いましたが、伝えたいときに伝えられるとは限らない、ということで今日になりました。
日々感謝を忘れずに生きていきます。
今日も読んでくれてありがとうございます。
芥川賞と直木賞、どう違うの?
本好きでなくても、耳にしたことはあるであろうこの二つ。どう違うのかご存知ですか?
どちらも文藝春秋の創設者である、菊池寛さんが1935年に創設したようです。
さっそく答えを書いてしまいますね。
芥川賞=純文学
直木賞=大衆小説
そんな棲み分けがあるようです。ジャンルが違うので、両方受賞はないんですね。
そのほかの賞にはどんなものがあるでしょうか。
・川端康成文学賞=短編が対象。
・吉川英治文学賞=後援は講談社。エンタメ系文学賞の中では最高峰とも言われています。
・谷崎潤一郎賞=中央公論社が創業80周年記念として創設した賞で、小説や戯曲が対象。
・ノーベル文学賞=川端康成が日本人初受賞。ボブディランやカズオイシグロが数年前に受賞しましたね。
・ピューリッツァー賞=コロンビア大学主催の、アメリカで最も権威のある文学賞。
芸人が書いた小説と話題になりました。
芸人の小説というと、その先駆けてある、劇団ひとりの「陰日向に咲く」が個人的に印象に残っています。
直木賞受賞作の「空中ブランコ」で奥田英朗の魅力を知りました。
吉川英治文学賞として印象に残っているのは、伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」は何度も読みたくなる作品です。
こうして書いていると、また本を読みたくなりました。
以上、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
何か思うところがあれば、コメントを頂けると恐悦至極です。
店員に八つ当たりをする、クレーマーへの対処法とは?
コンビニレジ前にて
「ちょっと、マスクもお手拭きも無いんだけど、いつ入荷するの?」
コンビニに文句をつけにきた女性。
新型コロナによる自粛疲れでしょうか。ストレス発散のために大声をあげにきたようです。
作戦
ここで店員が「すみません」と謝ってしまっては、この女性が鬱憤を吐き切るまで付き合うことになりそう。
どうしよう…上手い対処をしなければならない。店員さんは頭を働かせているようでした。
「そうなんです、発注をかけているんですがなかなか入荷しなくて。こちらも困っているんです。いつ入ってくるの?!」
同調作戦。お客様は不満をあらわにしている。ここは気持ちに寄り添って同じ矛先に向けよう。マスク不足への気持ちを口にしました。
敵は手強い
ー私の理解してくれたーそうして怒りが少し収まったお客さんは、大人しくなって「怒ってごめんなさいね」と店を後にする…一般のお客さんならそうなるはずだった。しかし、彼女は手強かったのです。
「入荷しないって…ほんとは注文してないんじゃないの?おかしいじゃない。謝りなさいよ」
彼女はまだ続ける。「謝るのが仕事でしょ」
いわゆるカスハラ。文明堂のおやつではなく、今流行りの行為です。
謝るしかない…?でも何に対して謝るの…店側に何も落ち度はないのは明白なのに。
そこで店員さんは、素晴らしい対応をしてくれました。
ぐうの音も出ない
「謝るのが仕事ではありません。お客様に気分良くお買い物をしていただくのが私たちの務めです」
「くっ…」その返しに、彼女は何も言うことができずに店を後にしました。
何も買わずに去ったので、お客ですらない人。
側で見ていたお客さんは「やったわね。スッキリした」と満足げでした。
この店員さんに清き一票を。
読んでいただきありがとうございました。
思うところがあれば、コメントを頂けると幸いです。
小学生の成長に寄与するかもしれない追記
以前に書いた記事の中、結論の一つに物議を醸すかもしれない事柄がありました
(コメントを頂きました)。
結論というか、提案を3つ4つしたのですが、その中の1つ「●●●●●●●はどんどんやりましょう」と書きました。
どんどん、は言いすぎですね。修正します。
今日はそんなことを書いてみます。
あの頃少女だった人たちに訊いてみました。
「スカートめくりをされた子たちは、喜んでいたような気がするけれど、勘違いでしょうか?」
26件の回答がありました。
① 2件( 7%)【経験がない】
② 2件( 7%)【なんとも思わない】
③ 2件( 7%)【相手によっては嫌】
④ 3件(12%)【男子がしてくれないから女子同士でしていた】
⑤ 7件(27%)【嫌に決まっている】
⑥10件(39%)【されてもいいように準備していた】
【嫌に決まっている】
やはり嫌だったという意見は多かったのですが、それでも3割弱というのが意外な?結果になりました。
・「喜ぶはずがない。勘違いです」
・「私達のクラスでは怒り心頭でした」
・「本気で嫌でした。もしあなたがズボンを下ろされたとしたらどう思いますか?」
この意見はやはり、真摯に受け止めるべきです。
ですが、「相手による」とか「されてもいいように準備していた」が全体の2/3と結構多い意見でした。
【相手によっては嫌】
・「あの男子にされるなら許せる、と思えるのがクラスの7割、あとの3割の男子には絶対されたくない」
・「汚いパンツのときはねw」
・「かっこいい男子にされたときは自慢できた」
【されてもいいように準備していた】
・「エッチな男子がいない学年のときはつまらなかった」
・「カワイイとかも言われず、興味を持たれないみたいで上辺の会話しかできなくてつまらなかった」
・「男子がスカートの中を見たがっていることはみんなわかっていて、可愛く見られたいと思っていた」
・「スカートめくりを嫌がるのは他女子への建前。男子にいじられるグループと、それが皆無のグループがあったが、後者には所属したくないと思っていた」
・「見られる準備万端のときにめくられると嬉しい。そんな日なのに見られないと帰り道が惨めに思えた」
結論
嫌がる人はもちろんいるが、それ以上に、されないほうが女子として見られていないように感じて自尊心が傷つく、という意見も多かったです。
相手がどのタイプかを見極める目を養いましょう。
健全な大人への第一歩になるようです。
こんな記事を真面目に書いてしまいました。
最後まで読んでくださった方、いるでしょうか?
ありがとうございます。コメントいただけたら幸いです。
誹謗中傷を防ぐことはできるのか?いじめや中傷などの攻撃に負けない方法
世間では、他人からの攻撃に苦しんでいる人が多いですね。
【誹謗中傷した人を、誹謗中傷するループを生まないために】トイアンナさんの記事、多くの方が読まれたかと思います。
toianna.hatenablog.com
こちらの記事やニュースでも取り上げられていますが、誹謗中傷を受けた人ができることとして法的手段を取るということ。参考になりました。
ですがこれは、攻撃を受けたあとの対応。
誹謗中傷を防ぐ手立てはあるのかどうか、攻撃側に目を向けて考えてみました。
・誹謗中傷=いじめはなぜ起こるのか
・自己防衛の手段
・敗北
・結論~いじめにしないために
誹謗中傷=いじめはなぜ起こるのか
【「カワイイ!」も「ブス」も一緒】
・見た目が気に食わない
・言動が気に障る
・価値観が合わない
・ちやほやされているのが腹立たしい
いじめの動機としては、こんなところでしょうか。
対象に対して見る側の感覚を表現しているわけですから、ブスだというのもカワイイというのも根幹は一緒です。
そこで、これらを代表して「カワイイ」で例えて話してみようと思います。
批評される人を河合さんとしましょう。
【言われる方にも要因がある】~だってかわいいんだもん
多くの方がAさんをかわいいといいます。それが広まれば共通の認識になります。
共通の認識=いわゆる常識になり、多数派が正しいという意識に繋がります。
ここで、常識を逸脱するとそちらが目立つ「出る杭は打たれる」状態になります。
すると、思っていなくても「可愛い」と言わないと仲間外れになるからそれを恐れていう人も発生します。この【常識】が一つの武器になるのです。
自己防衛の手段
【僻む人が現れる】
その【常識】とは別に、ひがみ・そねむ人が生まれると考えられます。
この人を「曽根さん」としましょうか。
-
美人自慢かよ。
-
どうせ顔がいいだけで、性格はひどいんだろう。
このように、相手の価値を下げ相対的に自分を上げるような意識が生まれるのではないでしょうか。劣等感に飲み込まれないために。
キツネとブドウのようなものです。
すると、仲間を募るために「性格悪い」の根拠を探し、それを発信します。
同意を得て孤立感を和らげるのではないでしょうか。曽根さんは自分の心を守るためにそうするのかもしれません。
敗北
-
そのうちに、河合さんよりの意見の人から「批判は良くない」と批判される曽根さん。
-
仲間を得られずに孤立した曽根さんは、いつしか弱っていき、劣等感を募らせます。
-
人を貶すことでしか生きられなくなってしまう。 自分の評価を相対的にしか判断できないと、こうなってしまいます。
結論~敵は自分自身
- 攻撃する人はいなくなりません。褒める人(味方)がいるかぎり。光がある限り、その影は無くならないから。
-
結局、強くなるしかないんです。カワイイと言われようがブスと貶されようが、他人の意見の一つであると受け止めるしかありません。良い意見も悪い意見も、受け止めすぎない。反応しすぎない。
-
河合さんは、ファンの「かわいい」の声で可愛くなっているわけではない。可愛くなる努力をしているからかわいいのでしょう。
-
自分の努力を認めるのは、他の誰かではなく自分自身です。どこまでも自分自身との闘い。評価のすべてを人に委ねてはいけない のです。打ち勝つ力を付ける必要があります。
-
とはいえ、特に有名人はファンありきの面もあるから、バランス感覚が重要になってきます。称賛も誹謗も、ある程度受け取って、「恩返し」が必要なんだと思います。
すべてを生きる糧にしなくてはなりません。
私は小学生の頃から自分に自信がなく、劣等感がすごくありました。
自分以外の他人は優れて見えて、自分より劣っている人などいない、とまで思っていたほどです。
それがいつしか、「人の良いところは吸収・真似をして自分を高めていけばいいんだ」と気づきました。
そうして少しずつ、強くなっていけるんだと思います。
読んでいただきありがとうございます。なにか思う所があれば、コメントをいただけると幸いです。
【クイズ】レジ袋を使う人を、60%→4%にまで減らした方法とは?
環境問題に少しでも貢献できるように、レジの有料化が身近で始まりましたね。
スーパーマーケットやドラッグストアでそうなっているところも増えてきています。
これは日本だけの話ではなく世界で広まり始めています。
今回の話は、バンクーバー=カナダのとあるお店の取り組みです。
ここではレジ袋を利用するお客さんを減らそうと、試行錯誤をしました。
・有料化:4円/1袋
この効果ですが、60%ほどのお客さんがレジ袋を購入したようです。
・有料化:8円/1袋
袋の価格を倍にしたのですが、それでも6割近くのお客さんは今までと同様利用を続けたようです。
【問題】
レジ袋利用者を4%にまで減らすことができた方法は??
思い浮かべてくれたでしょうか?
正解は、袋にとあるデザイン(印刷)をしたのです。
それがこちら
Dr. Toews Wart Ointment Wholesale
【意訳:ドクタートーズのいぼ軟膏卸売】
なるほど、ちょっと恥ずかしくて持ち歩きたくないですね。
他のデザインもあります。続いてこちら
Into the weird adulut video emporium
【奇妙なアダルトビデオ商店の中へ】
このレジ袋を持って歩くのは、なかなか勇気がいりますね。
店長の作戦勝ちですね。
残りの4%のお客さんは、なかなかのツワモノ…というかクセモノでしょうか。
あの頃に戻れるとしたら、いつに戻りたいですか?
「あの頃が一番よかった」
皆さんはいつが一番だと思い浮かべますか?
無邪気に友達と遊んで過ごした小学生時代や、
勉強に部活に恋に、青春のはじまり?の中学生時代でしょうか。
そういう自分は、というと、いわゆる黒歴史。
なので追体験するのもなかなか悲しいところがありますが。
なので、過去に戻ることができるなら、変えてみたいと思うことはあります。
あの頃「若いって羨ましい」と思えていたら、全力で生きていただろうな、と思います。
でもそれは、「あの頃」から見た未来、つまり今の視点で言えること。
もしも今、昔の自分に会えるとしたら、もっと意欲的に、貪欲に生きろと伝えたい。
でも当時の自分がそれを聞いたところで、きっと変わらないだろう。(あの頃こうしておけば、今の自分はもっと…)実感してやっと気づくもので、その時の自分の視野でしか物事を捉えられないから。
また、今の自分を否定することにもなります。多少の人生経験を積んで至った思いだから、過去が変わったら今の自分は存在しなくなる。
あんな自分だったからこそ、出会った人たちがいる。
恒川光太郎の作品の中に、11月7日に閉じ込められ何度も同じ日を繰り返す物語があります【秋の牢獄】。
過去に戻って未来を変える力を手に入れた主人公を描く映画【バタフライエフェクト】など、いくつもの作品が作られるように、誰もが一度は考える事柄ではあります。
何かを得れば、他の何かを失う。現実と同じですね。
冒頭で「若いって羨ましい」と書きました。
今の自分も、まだまだこんなもんじゃない。
未来の自分を作り上げられる、
今の自分を羨むように。
今が一番良い。
なんのために生まれてきたの?生きるのがつらい、と悩んだことのある人が知るべきこと ~年末のバスマジックリン~
誰もがご存知であろう詩人で、彼の言葉を心の支えにしたことのある人は多いのではないでしょうか。
相田さんの作品のなかで、今個人的に心に携えているのは
「一生勉強、一生青春」です。
さて、今回の記事は、相田みつをさんとは関係ありませんが、生きる理由の一つをお話します。
哲学とは別の観点になると思います。
とある一人の女性のお話をしましょう。
彼女は大変な苦しみを覚え、自殺寸前まで追い詰められました。
苦難を乗り越えて、生まれてきた目的を果たした人の物語です。
【苦しみの理由】
彼女は結婚をしています。子供はおらず、旦那さんの留守中はお手伝いさんと一緒に、茶道や華道、料理に買い物、観劇をして過ごす気ままな暮らしをしていました。
そんな中、風の便りが耳に届きます。ご主人が愛人を作り、その人の家にいるというのです。
いたたまれない気持ちの奥さんはその家に駆けつけると、旦那さんと愛人が布団の中にいました。
その女は奥さんに罵詈雑言を浴びせます。
奥さんは、自殺をしようと家を飛び出し、多摩川上流をトボトボとあるき出しました。
そこに現れた老女は、事情を訊き、自殺を諦めさせて、家まで送ってくれました。
奥さんの親類で協議の結果、旦那さんを追い出すことになり、彼は愛人のもとへ去りました。それから、奥さんの暮らしは鬱々とした日々が続きます。
しばらくして、家にあのときのおばあさんが来てくれました。
話しを聞くうち彼女は、いつも拝んでいるお寺を紹介してくれます。
奥さんはそこに通うようになり、何日目かに、お坊さんに聞かされます。
「あなたの前世は男性で、大名でした。その大名には政略結婚で結ばれた妻がいました。主筋の姫君という身分が気に入らず、彼は義務的に初夜を迎えたあと、三年間妻のもとには帰りません。側室を渡り歩いていました。
妻は身内にも貶され、屈辱に耐えきれず、ある夜に井戸へと身投げします。
その生まれ変わりが、現世のご主人です」
男女が入れ替わって、輪廻転生したというのです。
続けてそのお坊さんは言います。
「近いうちにご主人は、事業に失敗し愛人に見放され、あなたのもとに戻ってきます。そこであなたがご主人を許せるかどうかにかかっています」
それから一週間後、本当に旦那さんは戻ってきました。
奥さんに土下座をしたそうです。
それを見た奥さんは、思います――この人は前世でも苦しんだのに、今またこうしてつらい思いをしている…――そして旦那さんを迎え入れました。
旦那さんは改心し、会社に勤めて真面目に働き、まっすぐ帰宅するようになりました。
奥さんの憎悪は消えませんが、腹が立ったときには(私は前世でこの人に、三年もこんな思いをさせていたんだ…)そう思い返し、心をなだめました。
追い出した人とまた暮らしているのを知った身内からは、別れなければ絶交だと言われますが、前世の因縁を晴らす方を優先させるため、二人で暮らすことを選びます。
こうして、二人は円満夫婦になり、前世の因縁を晴らすことができたのです。
【輪廻転生】
以上が、この二人の物語です。
妻を蔑ろにした大名と、その苦しみに耐えかねて自殺した妻。
夫に浮気された妻と、愛人に捨てられ行き場を失い苦しむ夫。
因縁を持ち越してはいけない、来世でその苦しみは続くようです。
今年の汚れ、今年のうちに。
こちらの本を参照いたしました↓
美輪明宏さんの著書
【霊ナァンテコワクナイヨー】
女子高生の恋の相談に乗った話
相談をいただきました。内容を要約すると、下の通りです。
-
高1です。クラスに好きな人がいます。私がどんな事をしたら目を向けてくれるようになるでしょうか。
-
私も彼も、クラスでは比較的物静かなグループに属しています。
-
彼の性格は穏やかで優しい。悪口を言うところなんて見たことがないので、 プライドが高いわけではないと思う。
-
彼には今好きな人はいなさそう。接する女子はクラスの数人と部活関係の数人のみ。
-
彼とは週に1、2度日常会話をする程度。接点が少なすぎて、積極的になれない
-
私には釣り合わないかも…もったいない・似合わないと考えてしまう。私に好かれてもなんとも思わないのでは…?
-
イベントも誘えずじまい。なので 今度の体育祭で、一緒に写真を撮ってLINE交換してやりとりを続けたいと考えついたけれど、これはウザいですか?
以上。
実に初々しいですね。青春、うらやましい。
さて、この彼女、とても優しく気遣いのできるいい子ですね。
相手を思いやりすぎて、何も行動を起こせない。
こういう経験、自分にもあります。
・メール送りたいな
→でもこの時間だと、入浴中かな。
→その後は、晩ごはんだろうな。
→今勉強中かな?もう寝る時間かもしれない。邪魔しちゃ悪いな…
とか考えて、送れずじまい。
今考えれば、メールなんて好きなときに返せるんだし…
この女の子と同じかはわかりませんが、気を使いすぎると双方に良くないことにもなりえます。
【教訓】
言いたいことは言えるときに。
聞き飽きたフレーズかもしれないけれど、これは常に胸に刻んでおくべきことだと思います。
(この言葉を言っておけばよかった…)
と思う悔しさならまだマシです。
言う機会をなくしたあとに、言いたいことが次々浮かんでくること、これほど切ないことはありません。
常に別れを意識することはできませんが(つらすぎる)、感謝の心は常に持っていたいものです。
【未来】
さあ、この子の恋路はどうなったでしょうか。
相談に乗ったのが2016年10月、今から三年半ほど前のこと。
彼らは二十歳ですね。大学生か、社会人か…
実は、この女の子、いま隣にいます。一緒にブログ書いてます。
体育祭のときにLINEを交換しまして、そのまま仲良くなりました。
びっくりしました。ふたりとも同じ気持ちだったなんて。
こっちも気を使ってしまって…声をかけられなかった。今思えば、男の自分が声をかけるべきでしたね。彼女にはちょっと申し訳なく思っています。
あれからずっと一緒にいるんですが、当時の反省を活かし、今はなるべく彼女の思ってることを一歩先回りして行動しています。
なんて展開だったら面白いのかもわかりませんが、こうではありません。残念。
実は、行く末、わかりません。
アドバイスはしたけれどその後の展開は聞いていないので。
期待してくれた方がいたら、申し訳ない。
あの頃、応援しました。
幸せになっていたらいいと、ずっと思っています。
つづきは、月島雫と天沢聖司の恋の行方と同じように、各々の胸のうちに…
実写化とか、耳すまファンの多くは観たくないって言うだろうなぁ、と思います。
以上、余談でした。
ただの思い出日記?にお付き合いいただき、ありがとうございます。
くすぐられると何故笑ってしまうのか?
以前の記事で、笑い声について連想したので、こちらの記事を書きます。
笑い方に性格が出る、といいますが、結構特徴的な笑い声の人もいますよね。
例えば、水曜どうでしょうを見ていると思う、藤村ディレクターの笑い声。
あっはっはっはっは!と笑うこともありますが、別の笑い方もあります。
かっかっかっかっ!と喉を鳴らすような笑い方。(これも文字では正確に伝えられない音ですね…)
こちらの動画でご確認ください。(音声を出して再生してください)
出演者お三方の笑い声が混ざり合っていますが。
赤ちゃんの笑い方って、カワイイですよね。
これは笑いの連鎖動画です。
ものすごい特徴的な笑い方の方がいます。
以上の動画の後半の方、これはもう、性格が豪快だから…とかのレベルを超えていると思います。
笑い方も人それぞれ、笑いのツボも人それぞれ。
奥が深いものがありますが、悲しいときに笑うことができないように、心と体はリンクしていますね。
こんな言葉がありました。
「楽しいから笑うんじゃない、笑うから楽しいんだ」
【笑いの研究】
長い間笑いについては研究をされているようで、古くはプラトンも笑いについて考察をしていたようです。
また、古墳時代には笑った表情の埴輪があったとか。
【裏切り】
笑いとは、想像とのズレによって引き起こされるのが要因の一つのようです。
ケース①たとえば、くすぐられると何故笑ってしまうのか?
これは、まず人に触られることで感じるであろう力を想像し、身構えます。
でもくすぐりは、その想像よりも刺激が弱く、思っていたものと実際の感覚がずれているため笑ってしまうのだそう。
ケース②サンシャイン池崎
常識はずれに大きな声と動き。「超絶怒涛の~!」「空前絶後の~!」
それに反して言うことの内容は大きくない「ゲッツ」。
ムーディ勝山も同様に、裏切りパターンですね。
人を笑わせる方法も色々研究されていて、ある方によれば40種類ほどあるようです。
ここでの引用は割愛しますが。
【笑いは偉大】
笑うことで大病が治った、なんて話も聞くくらいです。
すごい力がある。
笑いの神様、志村けんさんが亡くなったときは、涙が溢れて止まりませんでした。
身内でもなく、ましてや会ったこともないのに。これも偉大さの証、でしょうか。
身を削り、人を笑わせることに徹した志村さん。ご冥福をお祈りします。
濁点と半濁点についての考察
濁点と半濁点について、一つの困ったことと、いくつかの思うことがあるので考えてみました。
まず困ること、続いて思うこと
①「ば」と「ぱ」の見分けがつきにくい
これはフォントの問題もあると思いますが、細かい文字だと特にわかりづらい場合がありますね。ルビとか。
②「は」に濁点や半濁点をつけることの違和感
ガ行やザ行などは口の動きがそのままなので変と感じないけれど、
ハ行に濁点は、「ア行・ヤ行に濁点」くらい違和感を覚えます。
③ナ行に濁点をつけたとしたら
da.di.du.de.doと発音できそう。
バナナマンの日村さんのトドのようなキャラ?「あの゛ね゛〜」みたいに。
④ラ行に濁点をつけたとしたら
上記③と同様の発音になりそう。
そこで、ba.bi.bu.be.boについて考えてみると…
⑤マ行に濁点で違和感なし。
【課題】
⑥pa.pi.pu.pe.poに妥当な文字がない
ハ行に濁点の違和感を解消する案が見当たらない。
専門家の間では、ハ行はもともとpapi...の発音だったのだろう、との説があるそうです。
⑦これは①の問題が再び発生してしまうけれど…
ナ行に半濁点をつけたとしたら、
ta.ti.tu.te.toになりそう。
⑧そうなると、タ行も怪しくなってくる
「チ」と「ツ」が…
逆にアルファベットでは、ラリルレロの発音はないですよね。
「t」もしくは「d」が近いようですが。
以上、思考の記録でした。
読んでくださった方、ありがとうございます。